No.135:紫光

パイル二等兵

2019年12月15日 12:00

ようこそ大日本衛生資料室へ。 本日ご紹介する資料はコチラ・・・


資料No.135:紫光

   品名 : 紫光
   製造 : 佐藤製薬株式会社
   販売 : 虹波社
   分類 : (内服薬)凍傷薬
   年代 : 昭和21~30年(1946~1955年)
   定価 : 不明
   寸法 : 6×2×2cm ※外箱
   個数 : 10個(国立療養所菊池恵楓園歴史資料館様へ1つ寄贈)
シベリア出兵の必需品「紫光」です。

凍傷の治療薬なのですが、一般的な軟膏薬ではなく内服薬(錠剤)となっております。
なんとなく凍傷で内服薬を使わなければいけないのは、末期症状のイメージが湧きます・・・

商品名が「紫光」とは意味が分かりませんが、どことなく「場末のスナック」感が漂ってますね。
製造は大手「佐藤製薬」ですが、販売は「虹波社」と言う謎の会社です。
同名の出版社がかつて存在したようですが関連性は不明・・・


【追記】

虹波研究は、昭和10年代に理化学研究所の理学博士「尾形輝太郎」が合成した感光色素を、
熊本医科大学の医師「波多野輔久」が医療への転用を試みたことからから始まったようです。

感光色素には抗菌作用や新陳代謝の効果があると考えられ、
日本陸軍が機密扱いで「虹波」「紫光」を開発。
熱傷、凍傷などには一定の効果があったようですが、抗生物質ほどの効果はなかったようです。
(現在「ルミンA」という名で感光色素を用いた市販薬が販売されています)

「虹波」の名称は、陸軍第七技術研究所の所長「長澤重五」(陸軍中将)が、
「虹」は感光色素から、「波」は「波多野輔久」の名字からとって命名したようです。

開発段階では「虹波」が「虹波1号」、「紫光」が「虹波12号」と呼ばれていました。

陸軍が研究を進める中で、ハンセン病患者への臨床試験で9名が亡くなっており、
現在その倫理性が問われています。


製造元の「佐藤製薬」の沿革は以下の通り。

大正4年(1915年)
   「佐藤幸吉」が「佐藤製薬所」として創設。
昭和4年(1929年)
   「佐藤製薬合名会社」に社名変更。
昭和14年(1939年)
   「佐藤製薬株式会社」に社名変更。


販売元の「虹波社」の沿革については詳細不明。



外箱

「紫光」と言う商品名をそのままデザイン化したような感じですね。
こちらもまた「場末のスナック」感が漂ってます。

裏面に書かれている成分をネット検索しても、どれもヒットしません。
非常に怪しい何らかの闇を感じます。


漢字が「旧字体」で書かれている、いわゆる「旧字体モノ」ですので、
昭和30年以前の品であると推測出来ます。

「佐藤製薬株式会社」名義ですので、昭和14年以降の品であると判断出来ます。

住所に「東京都」と記載されていますので、昭和18年以降の品であると判断出来ます。

収入印紙が貼られていませんので、大正15年以降の品であると判断出来ます。


価格単位が「銭」となっていますので、昭和28年以前の品であると判断出来ます。

「価格統制品」マークが押されていませんので、昭和15~21年以外の品であると判断できます。
また戦後の雰囲気を感じますので、昭和21年以降の品であると推測できます。

以上のことから、この品が昭和21~30年に製造されたと判断出来ますね。



経年劣化で蓋が開いているものがありますが、
中身が朽ち果てていてるので残念ながらお見せすることが出来ません。



この薬品に関する追加情報をお持ちの方は、
「コメント」または「メッセージを送る」から御教授下さい。

それでは、またのお越しを・・・



【室長日誌】
 人生の中で紫色のアイテムを購入した記憶がありません。


【関連リンク】
 佐藤製薬株式会社ホームページ
 佐藤製薬 - Wikipedia


【当資料室の注意事項】
 ●ご紹介する薬品に違法な物は含まれておりません(・・・多分)。
 ●記載されている情報はネットで軽く調べた程度のモノです。
 ●薬の年代特定に関しては『レトロな薬の年代特定法』を参照して下さい。
 ●「旧字体モノ」「右書きモノ」などの「〜モノ」は私が勝手に名付けただけです。
 ●「陸軍衛生材料廠」の品を「陸軍衛生材料」としていますが、私が勝手に呼んでるだけです。
 ●米帝の薬品類は『パイル二等兵の露営日記』にてご紹介致します。
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