小児薬の東日本王者「宇津救命丸」です。
秀吉軍が朝鮮へ出兵している慶長2年(1597年)に
「宇津権右衛門(初代)」が編み出した秘薬だそうです。
当時は「金匱救命丸」と呼ばれ、一粒が米一表と同じ価値でした。
※「金匱(きんき)」=「貴重な」
「宇津救命丸」と言う商品名が定着したのは、昭和6年に株式会社化した時だと思われます。
本来は「うつ」と読むそうですが、
昭和40頃にCM放送される際、聞き取りにくいと言うことで「うづ」と読み方を変えた・・・
と宇津救命丸のHPに書いてありましたが、
戦前の新聞広告には「うづ」とルビがふってありますのでよく分かりませんね。
ちなみに本商品は東日本では馴染み深い様ですが、西日本では全く馴染みが無いです・・・
東西の薬文化と歴史の違いを如実に表す生き証人と言えますね。
製造元の「宇津権右衛門薬房」の沿革は以下の通り。
慶長2年(1597年)10月13日
初代「宇津権右衛門」が「宇津の秘薬(救命丸)」を創製。
延宝元年(1673年)9月21日
「金匱救命丸」と命名。
明治39年(1906年)
「金匱救命丸」を全国発売。
昭和6年(1931年)
「株式会社宇津権右衛門薬房」設立。 商品名を「小児良薬 宇津救命丸」に変更。
昭和30年(1955年)
社名を「宇津救命丸株式会社」に変更。
販売を担当する「株式会社玉置商店」の沿革については詳細不明。
外箱
1945年頃から使用されている現在のパッケージの先代に当たると思われます。
古めかしい母子のイラストが良い雰囲気を醸し出してますね。
定価表を見ると、最小サイズの本品を含め全部で5サイズ存在することが分かります。
漢字が「旧字体」で書かれている、いわゆる「旧字体モノ」ですので、
昭和30年以前の品であると推測出来ます。
横書き文字が右から左に書かれている、いわゆる「右書きモノ」ですので、
戦前~戦後直後の品であると推測出来ます。
社名が「株式会社宇津権右衛門薬房」となっていますので、昭和6年~33年の品であると判断出来ます。
住所に「東京市」と記載されている、いわゆる「東京市モノ」ですので、
明治22年~昭和18年の品であると判断出来ます。
収入印紙が貼られていませんので、大正15年以降の品であると判断出来ます。
「マル停」(停止価格)が押されている価格統制品、いわゆる「統制品モノ」ですので、
昭和15~21年の品であると判断出来ます。
以上のことから、この品が昭和15~18年に製造されたと判断出来ますね。
残念ながら未開封品の為、中身をご紹介することが出来ません。
この薬品に関する追加情報をお持ちの方は、
「コメント」または「メッセージを送る」から御教授下さい。
それでは、またのお越しを・・・
【室長日誌】
小児薬の西日本王者は「樋屋奇応丸」です。
「ヒヤ、ヒヤ、ヒヤの、ひや・きおーがん♪」のCMソングで有名ですね。
東日本の方はご存知無いでしょうが・・・
【関連リンク】
宇津救命丸株式会社ホームページ
宇津救命丸 - Wikipedia
宇津救命丸 (企業) - Wikipedia
【旧コメント欄】
こんばんは! こっちもやってたんですねえ 知らなかった、、、
うづ きうめいぐあん 今でもバリバリに現役ですね
Posted by tbreak at 2011年04月12日 20:08
おはようございます
うづ きうめいぐわん・・・西日本では馴染みがないんですか~
「ヒヤ、ヒヤ、ヒヤの、ひや・きおーがん♪」を全然知らないのと同じですね。
堺はどの辺なんでしょう、やはり名古屋あたり?
Posted by pada at 2011年04月13日 06:19
「ヒヤ、ヒヤ、ヒヤの、ひや・きおーがん♪」のCMソング「樋屋奇応丸」聞いたことありますよー
漢字表記は覚えていないですがなんかこれの琺瑯看板を見たような記憶が・・・
背面には、大きめのロバ(おそらくラバ)が引くロバのパン屋さんがチンコロリン。
でも記憶はなぜか、セピアカラーなのです。
Posted by 物好き at 2011年04月13日 16:20
【当資料室の注意事項】
●ご紹介する薬品に違法な物は含まれておりません(・・・多分)。
●記載されている情報はネットで軽く調べた程度のモノです。
●薬の年代特定に関しては『
レトロな薬の年代特定法』を参照して下さい。
●「旧字体モノ」「右書きモノ」などの「〜モノ」は私が勝手に名付けただけです。
●「陸軍衛生材料廠」の品を「陸軍衛生材料」としていますが、私が勝手に呼んでるだけです。
●米帝の薬品類は『
パイル二等兵の露営日記』にてご紹介致します。